レポート

エルサレム・イスタンブールを巡るスタディーツアーを終えて

 米国留学時から25年来の付き合いであるトニー高橋NPO主宰より、今回のツアーへの参加打診を受けた際、正直躊躇しました。理由は、中東方面への興味関心はかねてから持っておらず、増して「中東」と聞けば、おそらく日本人のほとんどがまず「紛争地域」「ミサイル」や、ISによる日本人への残忍な殺傷事件などのネガティブ感に洗脳されており、私も家内も一堂に「中東は危険」というイメージが頭の中を占めていて、旅行の決断にはまず至らないであろう環境におりました。
 そんな中、6月に盛岡でNPOが主催する「イラク写真展」を開催した、大学以来の同志である三田林太郎君から、今回のツアーに参加するので一緒にどうか、というお誘いを受けました。迷っていた私に、彼は手紙でこう綴りました。「今回のツアーは、一生に一度いけるかどうかの場所だし、地元に足を固めることを決めた自分たちにとって、エルサレムという聖地訪問はこれからの人生にうっすらと影響を及ぼす旅になるのでは」。この言葉に勇気づけられ、締め切り直前で参加を決意しました。あの時背中を押してくれた三田君に、本当に感謝しています。

 今思えば、春先にトニーが私の住む岩手宮古の被災地域を訪問した際に、津波で破壊されたホテルの前から、ノートパソコンを使ってSkypeでイラクの学生と生中継をしていた頃から、私の旅が始まっていたように思います。今回の旅は、今までの「案内される旅行」とは違い、自分の足で歩いて見聞きすることで、興味関心がどんどん高まり、中山先生の詳細な解説を受けながら、歴史を紐解くことへの面白さに引き込まれていきました。「見る」「聞く」「食べる」「話す」のすべてが学習であり、帰ってきてからは、「なぜ?」「いつから?」「その理由は?」など、もっと知りたい好奇心に火がつき、日々の新聞やテレビでの報道、関連する映画や書籍の検索まで行動が拡がっていることを考えれば、名の通りまさにこれが「スタディーツアー」なのだと実感しています。

 旅の途中、思い出はたくさんありますが、中でも印象的だったのは、行きのイスタンブール乗り換えテルアビブ行の飛行機に乗った時のことです。初めて見る「もみあげがクルクルしたシルクハットの髭おじさん」がたくさんいて新鮮でしたが、それ以上に、出発前から機内があまりにも賑やかすぎて非常に違和感があったことです。とてもうれしそうな和気あいあいとした雰囲気で、まるで家族修学旅行のような感じです。「この人たちはなぜこんなに陽気なのか」。賑やかさは離陸後も終始続き、着陸近くになってテルアビブの夜景が見え始めた際には突然の大歓声、着陸時タイヤが着地した際には万雷の拍手と歓声が響きわたり、微笑ましいながらも「なぜこんなに喜んでいたのだろう」という疑問が残りました。後にエルサレムのヤドバシェム博物館を見たり、映画「シンドラーのリスト」を鑑賞したり、帰ってから書物に触れるなどし、にわかにその理由を想像しました。この乗客たちは「わが故郷イスラエルに帰ってきた」という喜びを発する歓声だったのかもしれない。その証拠に、帰途の便では誰一人声を発することもなく、静かで何事もない機内であったからです。それとも、私たちが乗った便がたまたまだったのでしょうか、いずれ、最初から最後まで家族的な大騒ぎの機内に乗り合わせたのは、初めての経験でした。

 たくさんの歴史名所を訪ね歩きましたが、やはり一番印象に残ったのは、エルサレムからバスでパレスチナのラッマラーを訪れ、そこから戻る際に通った検問所での光景です。ゲートに止まり、バスから降りた人々(おそらくイスラエルに入国するパレスチナ人)は、鉄格子の門の前に一列に並び、一人一人順に検問チェックを受けます。その風景を窓越しに見送っていたその時、銃を持った若いイスラエル兵2人が、突然「パスポート!」と言ってバスにどかどかと乗り込んできて、乗客全員のパスポートをチェックしました。行きのバスでは何事もなくスムーズに通過しただけに、これには意表を突かれました。トニーから天の声で「パスポートは絶対に忘れないように」と言われていたので、兵士に見せた後は命拾いしたような気分でした。検問所周辺にはコンクリートの国境分離壁が無機質に延々と並び、いまだ紛争地帯であることを嫌でも思い知らされる風景があり、おだやかなエルサレム旧新市街とのギャップを感じずにはいられませんでした。実際に、帰国後まもなくして、イスラエル南部の検問所でパレスチナの女学生がイスラエル兵に射殺されたという報道がありました。悲しく、終わりのない状況ながら、打つ手のない虚しさを感じることとなり、検問所の風景が焼き付いて離れませんでした。歴史の上に歴史が積み上げられていく、しかもそれらのほとんどが古から繰り返されてきた「戦争」や「宗教対立」が理由であること、また自分の住む日本と周辺の国においても、容易に解決できないたくさんの歴史的な難問があるのだと改めて知ることにもなりました。5年前に訪れた南北朝鮮を分断するJSA(非武装地帯)の板門店を訪問した時を思い出し、争いによってもたらされる史実は消すことができず、しかも容易に解決できない多くの問題を携えながら、人類は新たな未来を作っていくしかないことを改めて考えさせられました。

 トルコ・イスタンブールも初めての訪問となりました。どの場所を歩いても数千年の歴史を超えて現代と融合していることを感じさせ、終日エキサイティングな滞在でした。イスラエルと違い、人々の顔つきもどこかアラブとヨーロッパとアジアが混じり合った感があり、人柄も明るくおおらかな印象を受けました。トプカプ宮殿やアヤソフィア、スルタンアフメッドなど旧市街は魅力が満載で、多くの観光客が街路を埋めていましたが、ほとんどが欧州系の人々で、日本人はおろかアジア系とわかる顔の旅行客にほとんど出くわしませんでした。現地でガイドをしてくれたムスタファさんは、「ISによるテロの影響が大きく、観光客は一時5分の1近く落ちた時もあり、観光産業が盛んなトルコとしては死活問題だ」と言っていました。現に、帰国後ほどなくして首都アンカラで過去に例を見ない最悪の爆弾テロが起こったり、シリアからの難民流入問題など政治的にも不安定に映る印象はぬぐえません。
 しかしながら、実際に現地を歩けば、見る、食べる、買う、どこまで歩いても歩いても魅力が尽きません。その魅力は旧市街にとどまらず、ボスポラス海峡を渡ってさらに対岸に広がり、海と丘が一体となって醸し出す風光明媚な町並みは格別で、これまで見たことがない風景でした。許されるなら?いつか家内を連れてもう一度来れたらなあ、と妄想にふけりながら歩きました。世界で最も美しいと言われる世界遺産「スルタンアフメッドジャミイ」(ブルーモスク)では、ガイドさんの粋な取り計らいで、一般の人は通常入れない礼拝エリアに招き入れてもらい、私たちの目の前でイスラムのお祈りを見せてくれました。そのあとイスラムの教義や礼儀などをわかりやすく説いてくれたのは、大変貴重でよい思い出となりました。

  うろ覚えの英語をどうにかやりくりしながら、旅先で現地の人々と気さくに会話ができたおかげで、全体的にいい思い出を持って帰国の途に着きました。今回、中山先生の引率のおかげで安心して歩くことができました。同行の三田雅晴さんには、初めての旅行とは思えない完璧なまでのナビゲートにお世話になりました。そして、三田林太郎ご夫妻には終日体調不良にも関わらず、道中最後まで心の支えとなってくれたおかげで、今までにない楽しい旅行となりました。そして、いつも「天の声」として出発前から帰国まで十二分にサポートしてくれたトニー高橋主宰に、心からお礼を申し上げたいと思います。
またこのような機会がありましたら、ぜひ参加を検討させて頂きたいと思います。有り難うございました。

(安藤陸男)