「ヨルダン」スタディ・トリップ報告

4月16日から2016年12月22日から29日にかけて8日間のスタディ・トリップを敢行した。これまで「スタディツアー」という名称を使っていたが、決められた場所を回るだけという「ツアー」ではなく、旅の中で学ぶという意味を込めて「スタディ・トリップ」という名称を使うことにした。
参加者は5名。社会人1名を除けばいずれも大学生であり、将来国際貢献の現場で働きたいと考える若者たちである。ヨルダンにした理由は前回の旅行がイスラエル側からエルサレム・パレスチナを見学するコースだったので、今回はヨルダンをみようということである。
下の表が当日の行動予定表である。 

1日目・2日目
名古屋空港から出発。北京経由でアブ・ダビへ。アブ・ダビ空港からアンマンに入る。 

3日目  サルトの市街見学と死海の見学
サルトは中世からの商業交易の中継点として繁栄した都市である。また、独立当初トランスヨルダンの首都にもなっていた。
一見、何の変哲もない街並みであるが、イスラム教とキリスト教の教会が一緒の建物(中は別々)となっていたりする。時間になるとアザーンが流れたり、キリスト教会の鐘がなったりする。中世から続くのんびりした時間が感じられると同時にイスラム教徒とキリスト教徒が共存している場であることが肌身で感じられる。
“死海”は海面下-300mである。一年中暖かく、亜熱帯の気候であるとのこと。降っていた雨も止みだんだん暖かくなってくる。15時過ぎに“死海”の海岸に到着した。水着に着替えて死海に入る、外の気温は18度で肌寒い。しかし、水温は22度だった。中に入ると暖かく、しかものんびりと浮いていられる。心地良い“浮遊感”が感じられた。

サルトの歴史、文化、古代以来の商業活動について説明を受ける。

サルト市街の民家で昼食。マクルーバをいただく。

4日目
ヨルダン北部へ向かう。国士舘大学の国際支援で発掘が行われているウンムカイス遺跡の見学と北部のイルビットにあるヨルダン科学技術大学の学生との交流が目的。ヨルダン科学技術大学は、以前アニメクラブの学生が、私たちのNPOを通じてコミケに同人誌を販売した縁で交流が行われた。 

ウンムカイス遺跡にて。みぞれ交じりの雨が降っており、非常に寒かった

イルビットにあるショッピングモール内にて。ヨルダン科学技術大学日本クラブの学生と交流。 

5日目
バカアの難民キャンプ訪問。午後からアンマン市内のヨルダン国立博物館にて学芸員の方々とディスカッション。

難民キャンプ訪問。現地女性から支援のための「香水キット」の説明。右端はこの支援事業を続けているJICA職員の新岡さん。 
ヨルダン国立博物館にて。スタッフの方々と。 

6日目
ヨルダン・イスラエル国境を超えることができずエルサレム入りを断念。国際情勢の急変により、国境の検閲が厳しくなり、イミグレーションが混雑。このため日帰りのツアーができなくなりました。非常に残念でした。 

7日目
ペトラ日帰りツアー

映画「インディジョーンズ」のロケ地である宝物殿前にて。

参加者の感想
〇スタディ・トリップ感想

私は中学二年生の頃から国際協力という分野に興味があり、大学では、入学前から関心を持っていたパレスチナ問題の解決策を模索するために勉強しています。日本から遠く離れたパレスチナについて、これまで本やメディアの中でしか見られなかったものを、直接自分自身で感じ取りたいと考え、今回のスタディ・トリップへの参加を決めました。今回のツアーで最も印象に残っている経験は、ヨルダンのバカアにあるパレスチナ難民キャンプの難民女性生活向上プロジェクト現場を訪問したことでした。一般的に難民キャンプというと、何もない広い土地にいくつものテントが立てられ、そこで多くの人々が行列を作って救援物資を待っている様子が日本のメディアでは報道されることが多いと思います。しかしパレスチナ難民キャンプの場合はそれとは異なり、実際に私たちが訪れた難民キャンプでも、隣接する町との区別がつかないほど、しっかりとしたコンクリートの建物が、敷き詰められるようにして建っていました。わたしたちは、ここでJICAが行っている難民女性生活プロジェクトの現場を訪れ、現地の民家にお邪魔し、実際に難民女性の方が香水を作っている様子を見させていただきました。どのようにしてJICAによる技術支援が行われ、そこで習得したスキルを難民の人々はどのくらい自分たちの生活に役立てているのかなどの疑問に対して、支援する側と、される側の双方から生の声を聞くことができました。また、パレスチナ難民の人々や、キャンプ内で働くスタッフの方々が抱える様々な問題や、難民キャンプの今を自分自身で見聞きしたことにより、現地に足を踏み入れないとわからなかった多くのことを吸収できて、とても貴重な経験となりました。
私は、9日間のスタディ・トリップを通して出会うことができた多くの人々にとても感謝しています。特に現地ガイドのお二人、ヨルダン科学技術大学との交流会を通じてできた友達、そしてこのツアーの参加者の皆さんのおかげで、充実した毎日を送ることができました。尊敬できる先輩方や同期とともに過ごした時間は本当にあっという間でした。死海で溺れたことも、砂漠で見た満天の星空も、真似できない中山先生のにこやかな笑顔も一生忘れません。ありがとうございました。

(東沢 虹呼里)

〇ヨルダン 感想

ヨルダンの空港へ着いて思ったこと。「果たして、何もなく無事に帰れるのだろうか。」

中東・パレスチナの地。元々、国際協力や紛争に関わることを大学で扱っていたことから、自分自身がまず現場にいって知らなければ、何もならない、と思っていた。だからこその応募だったが、しかしいざ空港を降りてみると、不安な気持ちも沸き起こってきた。

空港から市内へ向かうためにタクシーへ乗ったが、至るところで警笛を鳴らし続けるし、車線という概念もなくひたすら走り続ける。車を降りてみれば、ほとんどがアラビア語の看板と、見慣れない風景。日本人の自分がひどく場違いなような感覚もしてきた。

だが、町中を歩き回っていて、人々が陽気なことに気づいた。写真を撮るようにお願いされて、柱の上によじ登ってポーズをとっていたり、子どもたちが歩いているとHelloと声をかけてくれたり。自分が思っていた「中東」とは違い、ヨルダンの人たちは活力溢れて生きていた。

また、一つ興味深かったこともある。
ヨルダンには多種多数の支配者が交代し続けてきた歴史があり、古代エジプト・先住のナバタイ、ローマ・ギリシア、ウマイヤ朝やオスマン帝国などその民族の数は果てしない。それに応じて、非常に多くの文化遺産がある。

ペトラ遺跡に残るナバタイ人の町や神殿の痕跡、アンマン市内のローマ劇場やマルクス帝時代のヘラクレス神殿柱、古都サルトのオスマン時代から続く石造建築群やモスクなど。

そんな中で、日本が支援しているヨルダン博物館の方に話を伺う機会があった。
「ヨルダンの歴史を、ここにくるヨルダン人にどう伝えたいと思いますか。」
イスラム教の王国であるがために、ヨルダン人は古代イスラム圏の歴史を中心に学んで、ムスリムとしてのアイデンティティを身に着けていくのだと思った。

だが、学芸員の方の回答は違った。
「古代ローマ人もナバタイも、その他ヨルダンの地に住んできた多くの民族は我々の尊敬すべき先祖です。多様性。そのことこそ、ヨルダン人に伝えていきたいメッセージです。」

日本という、遠い地から教科書を開いてしか学べない身にとって、イスラム教とキリスト教は絶対的に相反する存在として、ときに思える。
しかし現地の人と話し、関わることによって、その考えを改めていかなければならない、と感じるようになった。人は誰もいたずらに争いを求めない。見慣れない土地だからと、単純に危険視をして、その地に住む人を危うく思うべきではない。

今はもう日本に着いて、ヨルダンからはとても遠いところにいるが、そこで学んだことは、今後の自分自身の生き方に反映させていきたいと思った。

(藤井 一樹)

       〇イスラムの世界に触れて

私は今までに先進国、途上国問わず、決して多くはないものの様々な国を旅行やスタディツアーで訪れてきました。その中でも中東の国は初めてでムスリムが多数を占める国には行ったことがありませんでした。ところで「中東」、「イスラム教」と聞くとどのようなイメージが浮かぶでしょうか。昨今話題のシリアはヨルダン北部と国境を接しており、東にはイラク、西はイスラエルとパレスチナに接しています。これらの国が私たちの中東、そしてイスラム教のイメージの大半を形成しているように思います。残念ながらそれは決していいものではなく、政情不安、テロ、暴力といったネガティブな情報が日本に住む私たちの元に届いているのが現状です。しかし本当にそれだけなのでしょうか。これらの情報は確かに真実ではありますが、イスラム世界のすべてを描写するにはあまりにも画一的であり、それだけが一人歩きしているように感じていました。そこで私は本当のイスラム世界を私の目で見て、肌で感じてみたいと思いました。これが今回このツアーに参加した大きな理由です。
またこのツアーではバカアのパレスチナ難民キャンプも訪問しました。ここでは実際にパレスチナ難民の方にインタビューする機会がありました。その方は難民キャンプという閉鎖した空間にいながらもJICAの職業訓練を受け、自らビジネスを開拓していこうとする強い意欲を持った方でした。そして私を驚かせたのはその方が女性であり、子供もいたことです。男性優位なイスラムの社会において彼女のように女性が活躍をしていることは難民キャンプの一つの希望のように感じました。またそのような女性の社会進出や収入向上の支援をJICAやNGOなどの日本の団体が行っていることに日本人として誇らしく思いました。日本はヨルダンにおいてパレスチナやシリアからの難民支援だけでなく、環境分野でも貢献しています。例えば遺跡の発掘調査、博物館などの展示施設や観光施設の整備などです。ヨルダンは非常に観光資源に富んだ国ということを実感しました。特に死海で泳いだ経験は一生の宝物です。観光開発は今後の日本とヨルダンをつなぐ一つの架け橋になると思います。

そんな約1週間のヨルダンでの滞在では、私たちはヨルダンの歴史、文化、そして難民問題といった様々なトピックに出会い、それぞれのステークホルダーとの交流を通じてよりヨルダンやイスラムの世界を身近に感じることができました。まだまだ世界は知らないことでいっぱいです。今回イスラムの世界に触れたことは私にとっての大きな財産となりました。そしてそのような驚きや発見を一緒に感じることができたツアー参加者の皆さんとの出会いもその一つです。楽しい旅をありがとうございました。

(田中 翔)

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