特別展「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」を観る
この特別展は2016年4月12日から6月19日まで、東京国立博物館表慶館で催された。
その公式の案内には次のように記されている。
古くから『文明の十字路』として栄え、シルクロードの拠点として発展したアフガニスタン。その北部に点在する古代遺跡で発掘された貴重な文化財は、アフガニスタン国立博物館を代表する収蔵品となっていました。1979年のソ連による軍事介入やそれに続く内戦により同館は甚大な被害を受け、その多くが永遠に失われてしまったとみられていました。 ところが、その貴重な文化財は、国立博物館の勇敢な職員たちにより、秘かに大統領府地下の金庫などに移され、その後14年もの間、静かに守り続けられていたことが2003年に判明します。 本展は、この秘宝の再発見を契機に、アフガニスタンの文化遺産復興を支援するために企画された古代アフガニスタンの歴史と文化を紹介する国際巡回展です。2006年のフランス・ギメ国立東洋美術館での開催以来、メトロポリタン美術館、大英博物館など、世界10か国を巡回し、すでに170万人以上が来場しています。日本展ではこの秘宝231件に加え、平山郁夫氏らの呼びかけにより日本で「文化財難民」として保護・保管され、この機にアフガニスタンに返還されることとなったアフガニスタンからの流出文化財の中から15件が出品されます。
いまなお戦闘の絶えないアフガンを思えば、この「守り抜かれたシルクロードの秘宝」という副題の意味も、そしてこの特別展の意義も理解されるだろう。
以下は全五章から成るこの特別展のレポートであり、感想である。
第一章は、先史時代。
展示される「幾何学文脚付杯」が紀元前2000年頃のものと知らされる。そこに施された凸型文様は紀元前5000年頃から用いられているものだという。紀元前5000年頃といえばメソポタミア文明インダス文明のころである。いきなり、文明発祥の時点に連れて行かれる思いである。
第二章は、前3世紀から前2世紀。
ここではまずギリシア人の植民都市「アイ・アヌス」の遺跡から出土した「ギリシア語刻銘付石碑台座」に関心が向く。その碑文は「デルフォイの神託」の一部を含むという。「デルフォイ」といえばアポロンの神殿のある所。その神託を受けて、古代ギリシアの政治外交が行われたと思うと、遠い歴史上のことがらが眼前にあるかのように感じられる。
また、ギリシア神話の神ニケがペルシアの戦車に乗った姿が描かれている円盤「キュベーレ女神円盤」は、黄金の彩色が細かい細工に映えてこのままでも美しいが、今は失われた銀地に金の模様が浮かぶ円盤はさらに美しいだろうと想像させる。多様な文化が一枚の円盤に凝縮していて、「文明の十字路」にふさわしい逸品である。
第三章は、前1世紀から1世紀。
地元の言葉で「希望の丘」を意味するティリヤ・テぺ。ここでは遊牧民族の有力者たち6名の墓が発掘された。ティリヤ・テぺ、サカ・パルティア時代の黄金の装飾品などが今なお繊細で美しい輝きを放っている。その装飾品、装身具は、見つかった当時の並べ方で展示してあり、部品の精巧さはもちろん、どのように身に着けていたのか、どのような身分の人であったのかさえもよく分かる。
特に、王妃が眠る6号墓から発掘された「冠」は、薄く延ばした金を様々な形に切り抜き、細かな細工を施した金の飾りの揺れ動く繊細な冠である。同時にいくつかのパーツで分けて持ち運ぶことが出来るなど遊牧民族ならではの利便性も兼ね備えている。日本の藤ノ木古墳にもよく似たデザインの冠があり、文化の伝播の広がりを思わせる。
他にも、5号墓の「襟飾り」、4号墓の「メダイヨン付き腰帯」、2号墓の「ドラゴン人物文ペンダント」なども実に細かい金細工で、現代人の目から見てもデザイン性の高い装飾品ということができる。
一つだけ男性の墓である4号墓では、唯一、短剣や盾や飾り鞘などの装飾品が見られた。 短剣は劣化し刃の部分はほとんど原型をとどめていなかったが鍔の部分や鞘は美しいままに残されていた。
有力者六名の墓といいながら埋葬者五名が女性であるのはどのような理由であるのか。男性は王で、女性は王妃と女官たちなのだろうか。あるいは、男性は女性たちを守護する有力な従者かもしれないと考えたりもした。
副葬品のモチーフとして、草花などの植物、イルカなどの動物の他に、キューピッドやアフロディーテなど神話上のもの、そしてドラゴンなど想像上の動物なども取り上げられていたのが印象的であった。はるか昔も「四葉のクローバー」が幸運を招くとして喜ばれていたようだ。
また4号墓から出土した「インド・メダイヨン(ペンダント)」には法輪を転がす人物が描かれ、世界最古の仏陀の姿とする説がある。出土品の中では仏教にちなんだものは珍しく、仏陀の姿が描かれている点でもかなり貴重である。
第四章は1世紀から3世紀。
クシャーン朝時代の都市「ペグラム」では東西交易の豊かさを物語る品々が出土した。まず目に入るのが色とりどりのガラス製品。切子ガラスや吹きガラス、透かし模様の入ったガラスなどを見るとエジプトからのガラスがこの頃既に流入してきていたとわかる。魚の形をした水差しやエナメルで鮮やかな色をつけた絵杯などもあり実用的かつ美しいものばかりであった。
内陸のアフガニスタンでは、とりわけ海や水を感じることのできる品が好まれたのだ。 インドの象牙で作った「マカラと水の神」の像は、いかにもインドのものらしく、どれも妖艶である。インド神話に登場する「マカラ」は象の鼻を持ちワニの尾を持つ怪魚で、他の装飾品でも度々用いられるほどの水生の動物であるらしい。また「魚装飾付円形盤」は一見メデューサの顔が真ん中に描かれただけの円盤であるが、円盤の沢山の切れ目からは下に重りをつけた薄い尾ひれや背びれが覗き見られ、盤を揺らすとそのひれもゆらゆらと揺らめき、まるで海中の魚たちが泳いでいるかのように見える仕掛けがある。「アクアリウム」と呼ばれる小さくて原始的なこの”水族館”を見てアフガニスタンの人々はまだ見ぬ海への憧れを膨らませていたのかもしれない。
第一章から四章までは遺跡から発掘された遺物の展示であったが、最終章は「アフガニスタン流出文化財」の展示である。1979年のソ連の軍事介入とそれに続く内戦などにより博物館も被害を受け、多くの貴重な文化財が略奪され、その一部は日本にも運び込まれていた。これらの「流失文化財」を「文化財難民」と位置づけ、その保護を提唱したのが日本画家平山郁夫氏であった。氏がシルクロードを生涯のテーマとしていたことは周知のことである。氏を中心に「流失文化財保護日本委員会」が設立され、不法に日本へと運び込まれた文化財の保全管理と修復を行ってきた。そして、本展を機にアフガニスタンに無事返還されることになった102件のうち15件が特別出品されていた。
その一つ、「カーシャパ兄弟の仏礼拝」は1992年に盗難に遭い、パキスタン経由で日本に持ち込まれたという。インドの火の神カーシャバ三兄弟が仏陀の神通力を目の当たりにして、弟子千人とともに仏教に改宗したという仏伝の一コマを表している。これに代表されるように仏教に関係するものが多かったが、一方、「ゼウス神像左足断片」のようにギリシアてきなものもあり、アフガニスタンがやはり「文明の十字路」であることを物語っていた。
最後になるが、この素晴らしい特別展が実はアフガニスタンの勇敢な人々と、「流失文化財」を「文化財難民」と捉える視点を持つ人々(このような人は日本以外にも存在すると思いたい)の尽力によって成り立っていることをあらためて実感した。それと同時に、現在もなお紛争地にあって破壊や略奪の危機にさらされている文化財は少なくない。文化財の喪失は、人類の歴史の抹殺につながるのではなだろうか。そんなことをも考えさせる特別展であった。
(駒澤大学1年 佐野 美桜乃)