2015年スタディ・ツアー報告

2015年8月17日~24日にかけて、イェルサレムとイスタンブールへのスタディ・ツアーを敢行いたしました。催行人数は5名です。以下ご報告します。

8月19日 イェルサレム2日目
 1日中旧市街を歩く。旧市街を歩いていると、様々な人々がいることに気づかされます。キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、それだけでなくキリスト教徒の中でも、ローマ・カトリック、ギリシア正教、コプト教、アルメニア正教、エチオピア正教、シリア正教などの教会や修道院があり、それぞれの宗派の聖職者が暮らしています。また、これらの人々は、ユダヤ人地区、アルメニア人地区、ムスリム地区、キリスト教徒地区などに分かれて暮らしています。狭い街中に様々な宗教が共存しているという事実に驚かされます。対立する宗派も宗教もここでは共存しています。

午前中はキリストが十字架を担いで処刑場に向かったという「ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa)」を辿り、キリストが処刑された場所に建つ「聖墳墓教会」へ向かいました。写真左は十字架を背負ったキリストが躓いた場所に建てられた教会内部の礼拝堂。写真右はヴィア・ドロローサ途中の路地の様子。各自がそれぞれの思いに耽りながらこの路地を辿ります。ヴィア・ドロローサは、キリストが死刑の判決を受けたピラトの官邸からはじまり、鞭打ちの刑を受け、十字架を背負わされた場所、躓いた場所、弟子がキリストの代わりに十字架を背負った場所、などを辿りながら処刑場所である「ゴルゴダの丘」に建つ「聖墳墓教会」に至ります。

聖墳墓教会は、聖書上の出来事にちなんだ礼拝堂がたくさんあり、それぞれをキリスト教各派が管理しています。ローマ・カトリックをはじめ、ギリシア正教、エチオピア正教、アルメニア正教、コプト正教、シリア正教などの礼拝堂や部屋があり、異なった宗派の法衣を着た聖職者が見られます。従来、これらの宗派が教会の門の所有権を争っていたために、1187年、十字軍からエルサレムを奪還したイスラム教徒の指導者サラディンは、地元のイスラム教徒のジューダ一族に鍵を管理させることで、教会の破壊を防ぎ、異なる宗派間の対立を避けようとしました。このジューダ一族の末裔が、現在でも教会の鍵を管理しているそうです。
聖地をめぐる争いはこれ以降も続き、この地をめぐる聖地管理権問題がきっかけとなってクリミア戦争が勃発したことは歴史の教科書に載っています。

ダヴィデの塔からイェルサレム全景を望む。中央は「岩のドーム」、奥がオリーブ山。ここからの眺めは最高でした。
 世界遺産である旧市街を眺めつつ、歩き疲れた体を休めて、のんびり過ごしました。

 昼食はレストランでユダヤ料理とアラブ料理でした。

手前左がレンテル豆のスープ。右がシュワルマサンド(ユダヤ料理)。奥にホモス(豆のペースト)とタブレ(パセリのサラダ)というアラブ料理の定番、チーズバーガーなど。

聖マルコ教会の入口。質素な建物で目立たない場所です。旧市街の入り組んだ路地の中にありました。

「岩のドーム」が建つ神殿の丘に「嘆きの壁」があります。この丘は、かつてユダヤ人の神殿のあったところ。バビロン捕囚から帰還した人々が建てて、ヘロデ王が改修した神殿が、70年にローマのティトス将軍により破壊されました。このとき部分的に残ったのが西側の外壁で、これが「嘆きの壁」となりました。この壁に向かってユダヤ教徒が祈りを捧げます。

「嘆きの壁」の前で、左から安藤氏、三田氏、中山。頭につけているのはキッパです。「嘆きの壁」の広場に入るには必ず付けていなければなりません。

3日目、パレスチナのラマラへ

ラマラにある在パレスチナ日本政府事務所の大久保所長と懇談しました。パレスチナとの文化交流や文化支援の可能性についてお話しを伺いました。丁寧なご説明を受けました。ありがとうございました。

右が大久保所長、左が中山、奥の左は三田夫人、右は安藤氏。

「パレスチナの人々は日本人に対しては友好的で、日本に対する関心は高い。しかし、紛争地であるためにFace to Faceの交流の機会は少なく、文化交流も難しい。現在、イスラエルとパレスチナは和平交渉も中断して関係が悪化している。そのため、些細な出来事や小さな事件が政治問題化されてしまう。だからこそ、相互の文化交流の意義は大きい」といった話をうかがうことができました。

ヤーセル・アラファトの廟を訪問しました。 1月に安倍総理も来た場所です。

3日目はバスでラマラに入りました。思ったよりも簡単に入国することができました。街自体はそれほど大きな街ではないため、すべて徒歩で移動しました。のんびりした街で、オリーブの栽培が盛んに行われているそうです。午後からは旧市街から新市街に出て、散策をしました。路面電車LRTを使えば、楽に新市街に出ることができます。

写真左はラマラの中心街にある「ライオン広場」、写真右はラマラとイェルサレムの国境。

午後、新市街を散策。市場の様子。

4日目は イスラエル博物館とヤド・ヴァシェム(虐殺記念館)へ行きました。イスラエルに来たらここに来なくてはいけないという参加者の方々の強い要望です。イスラエル博物館は、イスラエルの歴史や文化全般に関する国立博物館で、見ごたえがありました。ヤド・ヴァシェムは第二次大戦中のユダヤ人虐殺の資料を展示した記念館です。

イスラエル博物館の死海写本館にて。
ヤド・ヴァシェムで偶然にも杉原千畝氏のプレートと植樹の杉を見つけました。

イスラエルの写真家集団であるActivestill のShiraz Grinbaumさんと会見しました。イスラエルの抱える様々な問題について、写真で訴えている方々です。

Activestill のShiraz Grinbaumさんと。

6日目 イスタンブール

トプカピ宮殿にて。後ろはボスポラス海峡。

イスタンブールは2泊のみでしたので、トプカピ宮殿とアヤソフィア、ブルーモスクなどを見学して過ごしました。トプカピ宮殿とアヤソフィアは見応えがあり、特にトプカピ宮殿は見学に半日以上かかりました。現地の方々との交流もあり、楽しく過ごすことができました。

トプカピ宮殿の学芸員のオミュル・トゥファン氏と会食しました。トゥファン氏は、日本の伊万里や有田などの「焼物」の研究が専門です。トプカピ宮殿には日本の焼物が700点以上あるそうです。日本語が堪能で、色々な話を聞かせてくれました。

レポート 三田 林太郎氏
レポート 三田雅晴氏 

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