第二回 アジアの文化危機に関するフォーラム報告
Save the Asian Monuments
副理事長 中山信一
2016年6月25日(土)にSave the Asian Monuments主催による「第二回 アジアの文化危機に関するフォーラム」を飯田橋でおこなった。
内容は、まず副理事長中山がリヤド報告(HP内に別掲載)を行い。次に山崎やよい氏が講演をした。山崎氏の発表は、昨年行った話しをもとに、さらに最近のシリアの現状と、おもにパルミラの遺跡に焦点を当てたものである。
以下、山崎氏のお話を要約したものをご報告する。
○ パルミラの遺跡に象徴されること
パルミラはシリア中央部ホムス県タドモルにあるローマ帝国支配時の都市遺跡で、1980年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。B.C.1世紀~A.D,3世紀までシルクロードの中継都市として発展した。この地はヘレニズム時代のセレウコス朝シリアからローマ時代にかけて発展し、列柱道路や神殿、取引所、地下墳墓などが作られた。
ダマスクスから230kmナツメヤシの畑の中から遺跡が出現する光景は感動的である。観光拠点。ほとんどの住民が観光で生計を立てるベドウィンの人々である。この地が昨年夏、ISに制圧されてプロパガンダ的破壊を受けた。
最も私が悲しかったのは、われわれの友人であるハーリド・アスアド氏の暗殺である。この方は元パルミラ考古博物館館長で、「頑固」というほど意志の固い方だった。
(ここで、ハーリド氏に関するいくつかの思い出話を紹介していただいたが省略。また、パルミラの破壊された写真と破壊前の写真を比較して見せていただいた。パール・シャミン神殿、ベール神殿、パルミラ凱旋門などの例をご説明いただいた。)
私の知人に遺跡ウォッチャーの男性がいる。その人は専門家ではないが、遺跡が好きで、自費で難民キャンプを抜けて現地に通い、写真を撮っていた。もちろん命がけである。「どうせいつか死ぬのだから」と言いつつ危険を冒していたが、ISに捕まり嫌がらせを受けた後、トルコに逃れた。彼はそれでも懲りずにトルコから遺跡ウォッチに入っている。このような無銘のウォッチャーのお蔭で遺跡の現状が把握できている。
私はパルミラの遺跡の破壊を考える時、ISのみを取り上げるべきではないと思う。パルミラは内乱当時5万人の人口だったが、難民が流入するとともに15万人に膨れ上がり、それとともに以下のような問題が生じた。
① 内乱とともに政府軍および多数の外部からの侵入者により盗掘が行われた。
② 繰り返しの混乱の積み重ねで様々なことが起こる度に、遺跡や文化財そのものが忘れ去られてしまう。
③ プロパガンダとしての破壊がISにより行われた。
④ ISに限らず、様々な勢力の宣伝材料として遺跡が使われている。
⑤ 盗掘、遺物の売買は北部の物はトルコで売られている。しかし、そのほとんどは偽物である。ただ、時々本物が混じっている、
○ メディアの問題
2015年12月10日号のナショナルジオグラフィックの特集は「遺跡の侵害を行っているのはISだけではない」というものだった。とかくメディアは話題性を煽るために何かに集約させたがる。「ISが流した文化財」という言い方によって、ISだけの問題ではないのに、ISのせいだけにしてしまう。ISによる遺跡の破壊がプロパガンダであることは明白。したがって、なにもかもISのせいにすることは彼らのプロパガンダに手を貸すことにもなる。確かにISが動く時は何かがある。しかしながら、シリア政府軍によるパルミラ「奪還」の際、シリア政府もまたプロパガンダとしてパルミラを利用した。
シリア考古局長のマームーン・アブドゥール・カリーム氏は5ヶ年計画で修復すると公表したが、これは現実性に乏しい。おそらくシリア政府の意向に沿った公表なのだろう。また、ロシアによる地雷撤去作業や遺跡でのコンサートも作為的な動きが感じられる。
ル・モンド紙はこうした性急なパルミラ修復に対して「反対」の意見を表明している。また、現段階ではシリア政府軍による盗掘、略奪も絶えない。元ポーランド・パルミラ調査隊のガリコフスキー氏が以下のように述べている。「遺跡が破壊されても、それ以前の記録が残っていれば、遺跡はいつでも修復できる。われわれ考古学者の仕事は、もともと破壊された遺跡を修復する仕事なのだから。」こうしたポジティブな視点が大切だと思われる。
今後、文化財をめぐる活動としては、文化財ウォッチ、遺跡ウォッチをする現地の人々との協力関係が大切なのではないか。パルミラの遺跡を本当に大切に考えているのは、こうした現地の人々なのに、ISであれ難民であれ政府軍であれ、現地を占領している勢力が現地の人々をないがしろにして遺跡を破壊している。この点を冷静に見続けるべきである。
最後に山崎氏の希望として。子供が読める遺跡の本、シリア国内の子供が見るような写真集を作りたいとのこと。破壊される前の遺跡がいかにすばらしいものだったのかを伝えたいという思いを語っていただいた。